LOGIN祖母は顔の上半分が薬草に被れて、まるで火傷の痕の様に爛れている。
その見た目から祖母は魔女ドーラと揶揄されていた。
「あぁ、いや違う。気を悪くするな。彼女は栗毛で肌も小麦の様だった。お前は銀髪に白い肌をしているから、こんなに違うものかと……」
「そ、祖母に会ったことがあるんですかっ?」
「あぁ、一度だけ。モリガン伯が薬物兵器を研究していた者を監禁していると聞いて、見に行った」
「そう、ですか……」
元気だったのか、どんな風に拘束されているのか、聞きたい事は沢山ある。
何一つ聞けなかったのは自分が今、殺人容疑で連行されている罪人だと思い出したからだ。
それを忘れる程、目前にいる公爵閣下は穏やかな声で話している。
尋問するでもなく、罪人だと蔑む様子もない。
「僕はこれからどうなりますか……?」
「まぁ、特別室でお話合いだな」
「特別室……?」
「お前の為に用意した特別な部屋だ」
拷問――。その言葉が最初に過る。
抑揚なくそう言われて、心底恐ろしくなった。
彼からしてみれば犯罪者なんて珍しい物ではないのだろうし、拷問するのだって日常の一部に過ぎないのかもしれない。
今日のディナーはシチューだよ、くらいの軽さで言われるのも当たり前なのかもしれない。
だが、一介の商売人には非日常すぎて驚くなと言う方が無理だ。
驚く暇があるなら、一つでも状況を把握しろ――。
今、動揺したって状況は変わらない。
どうにか隙をついて逃げないと。
オルタナはそう腹に決めて車窓の向こうへと視線を投げた。
馬車は王都に向かっているはずなのに、何故か鬱蒼とした森の中を走っている。
「え……」
いや、アリアンロッド街道は真っすぐ王都へ敷かれた王都への最短ルートだ。
そのモリガン区側の入り口にある自分の店から、橋を渡るともう隣のノックス男爵領に入る。
アリアンロッド街道は商人の為に敷かれた、王都アルメリアからモリガン区までを安全に、最短距離で移動できる街道だ。
街の中心街を突っ切る様に走っているその街道が、こんな森の中を通るはずがない。
もう、ここが何処かすら分からない。
こんな森の中で逃亡を企てた所で、方向も分からず野宿する羽目になって野獣に食われておしまいだ。
乱立する木々の隙間に見える黄金色の畑を見て、オルタナはハッと気づいた。
「黄金麦《こがねむぎ》……?」
黄金麦はアウルム地方の穀倉地帯でしか育たない珍しい麦の一種だ。
通常秋頃に実るイネ科の植物と違い、黄金麦は春に穂を実らせる。
アウルム地方は農業が盛んな田舎ではあるが、王国の中でも珍しい作物が多く採れる上、サリバン公爵領としても最大の広さを持っている。
「目が良いな。もうそろそろ収穫祭だろうな」
「あの、何でこんな所に……」
「言っただろう。お前の為に用意した特別室がある、と」
そう言って公爵は満足げに口角を上げた。
こんな田舎の麦畑しかない所に犯罪者を連れてきて、何をしようと言うのか。
王都に連行しない理由も分からない。
「ふはっ……お前は敏いのか鈍いのか分からんな」
「は……?」
「冷静沈着なだけかと思っていたが、ただ判断出来ずに黙っていただけか? 何故、弁明しない? もっと騒ぐかと思っていたが」
「さ、騒いだらスーランは殺されていたでしょう?」
「殺さないと言ったはずだ」
「うそだ……」
「まぁ、信じないと言うならソレはソレだ。なら、俺も信じない事にしよう。お前は複数のモリガン兵を殺した容疑で裁かれる事になる」
「ぼ、僕はそんなの知らないっ! 軍人を複数人殺すなんて、こんなひ弱な僕に出来る訳ない……」
「あぁ、だが毒薬なら体躯の差は関係ない」
「毒薬だって?」
「お前にはその知識があるだろ? モリガン兵は今、隣国ラカンに斥候部隊を潜入させている。モリガン大佐もその陣頭指揮で遠征に出ている。だが、その潜入作戦の前、六名の兵士が二日の内に死んだ」
「二日で六名……」
「その六名は死ぬ直前まで斥候部隊として隣国に入る予定のあった者だ」
「し、知らないっ! 僕は毒なんて扱ってない! それに軍の潜入捜査の情報なんて、僕が知ってるわけがない!」
「ラカンと繋がりのある者がやったと思われても仕方ない」
「僕はラカンと関係なんてこれっぽっちも……」
「あぁ、だがお前はモリガン軍に香辛料を卸している」
「は? それは、だってモリガン大佐に頼まれて……」
待て。話の流れがおかしくないか?
この流れだと、モリガン軍が隣国ラカンと何かしらの関係がある様に聞こえる。
いや、そんなはずない。
部下想いのモリガン大佐は兵士の寝つきが良くないとか、疲労回復に良い物はないか、と時折店を覗いてくれていた。
無骨で男気を固めた様な軍人らしい軍人。
モリガン大佐はその見た目とは裏腹に、優しい人だ。
だから、罪人の孫であるオルタナの店の事も気にかけてくれていた。
モリガン大佐に頼まれて香辛料を軍部に卸していたのは確かだ。
「それなら、私が。最近、ラカンの元密偵に伝手が出来たので」 そう言ったのはミレーだった。 確かに、アラベルなら用意出来そうだ。「でもミレー、親父さん達は今、別の仕事に取り掛かってるんでしょ?」「……まぁ、そこは何とかします」「そう……」 そのミレーのやり取りを見て、王妃は頬を膨らませてこう言った。「ミレー中尉ばっかりズルいわ」「え?」「オルティは私の友達なのに、私の事は愛称でも呼んでくれないし、未だに敬語なのよ? ミレー中尉だけズルい!」「いやぁ……ラチア様、それは……」 オルタナはその王妃の拗ねっぷりに、これが高等技術“スネル”か……と感心した。 とは言え、王妃相手に愛称呼びはスネルより更にハードルが高い。「二人だけの時は良いでしょ? それもダメ?」「うぇっ⁉」「だって私、オルティ以外に友達いないんだもん」「……」 それはズルいぞ、王妃様。 困ってミレーの方を見遣ると、こうなると分かっていた様な顔でウインクされた。「……じゃあ、二人の時だけ」「本当っ? 約束よ?」「わ、分かった……です」「んもぅっ!」「き、急には無理……だから、許して……ラ、ラティ」「ふふ、良いわ。ありがと、オルティ」 嬉しそうに笑う王妃は、まるでただの十二歳の少女に見える。 そう見えてしまうと、焦げ茶色の良く似合っていると思っていた美しいドレスも、聊か背伸びした様に見えて来るから不思議だ。 この時オルタナは、あれだけ「得策じゃない」と言われていたのに、無駄な意地を張る事になるとは露知らず、煌びやかな夜が更けて行った。◇◇◇ オルタ
あからさまに焦った顔をして見せたノエルに、王妃は満面の笑みを見せた。「ルアド・モリガンの状況を知りたいわ」「えぇ――……それは守秘義務がありまして……」「そうね、少佐が王妃に話したとしたら処罰を受けるでしょうけど……ミレー中尉との会話を偶然何者かが聞いてしまったのなら、出所不詳で誤魔化せる」「えぇ⁉ まぁ、良いですけど」 いいんかい。 オルタナは危うくそう突っ込みそうになった。「おい、ミレー。ルアドの様子はやはりおかしいらしいぞ」 急に始まった寸劇もどきに、ミレーは慌てて答える。「お、おかしいって?」「痛みも感じてない上、正気を保っているとは到底思えないらしい」「特警預かりになったのに、正気を保っている方がおかしいでしょ」「薬物中毒じゃないかと、誰かが言ってた様な……」「えぇ⁉ 何の?」「あー、えー、それが分からないって話らしい」「こ、困ったわねぇ……」 ノエルとミレーは凄くカッコいいのに、酷い茶番だ。 余りの酷さに王妃と顔を見合わせて噴き出した。「「ぷっ……」」 ノエルとミレーは二人共恥ずかしそうに顔を背けている。「なるほど。そう言う事でしたか」「ラチア様? そう言う事、とは?」「ずっと不思議だったの。ルアドが口を割らない事もそうだけど、あの体格が異様で……」「体格? モリガン大佐は昔から結構大きかったですけど……」「でも、モリガン伯爵は&alph
「えぇ?」「自分を殺して大人の事情に付き合ってたら、ロクでもない事になるわ」「ロクでもない事……」「あ、その……オルティは私よりお兄さんで、子供じゃないかもしれないけれど……大体高位貴族の大人って自分の思い通りに事が運ぶと思ってる」「はぁ……」 オルタナは王妃の“お兄さん”という言葉に驚いた。 年齢はともかく同等かそれ以下だと見下しても良い権力をお持ちなのに。「子供は何でも自分達の言う事を聞くと思っている」「まぁ、そうですね。逆らえる気もしませんけど……」「それに、ヴィンス相手じゃ喧嘩するのは分が悪いわ」「ラチア様は王陛下と喧嘩なさるのですか?」「喧嘩……と言うか、一方的に私が怒っている事が多いわね」「でも、仲良さそうに見えますよ」「うふ、愛してるもの」「おぉ……」 堂々とそう言える王妃が、キラカの灯でより幻想的に美しく見える。 オルタナは自分のグラグラと動く弱い心を確める様に、胸に手を当てた。 公爵が子を産める番を持てと言われるのは、至極当然の事。 でもそれに覚悟が出来ていなかったのは、公爵の“唯一の番”という言葉を安易に丸飲みしていた自分のせいだ。 これから運命の番として、誰か他のΩの子を抱く公爵を寛容に許し、サリバン公爵を支える人生が待っている。 でも、それが嫌だと言って離れていく事も出来ない。 苦しくても、離れるなんて無理だ。 だって、愛しているもの。「我儘な王妃に手を焼いている王様。そう言う筋書きなの」「筋書き……?」「レイって本当はもっと優しい人。でも、優しいだけじゃ国王は務まらないでしょ。だから私が我儘を言って、それを仕方なく許すって言う茶番?」「国政が茶番?」「私が矢面に立つことでレイを守れるなら、それで良い。私はもうすぐ十三歳になるけれど、子供だと侮る者は
大公妃に加えて王妃まで一緒に行くとなれば、危険度が釣り上がる。 どんなに気が強く凛としている王妃でも、まだ十二の少女で、Ωだ。 もしも、何か大事になる様な事があれば、自分一人では対処出来ない。 あぁ、でも、護衛はついて来るはず――。 そのオルタナの心境を聞いていたかのように、ケルメスが口を挟む。「王妃様。大聖堂には抑制剤関連の機密も多くございます。銀の君の視察には、こちらで護衛を用意します故、従者殿はお連れにならぬよう」「分かっていますとも」 とんでもない事になった。 大公妃と自分だけなら自分の身をどうにか守れれば良い。 教会が大金を落とす大公妃をどうこうする確率は無いに等しいからだ。 それに、今回の夜会は大聖堂への潜入計画の一旦を担っている。 その潜入計画の陽動の為にオルタナがケルメスを誑し込み、魔女ドーラに会わせて欲しいと嘆願し、表から堂々と入る計画だった。 そこに助っ人である大公妃が現れ、運良く視察の話が出た為に便乗する事が出来ただけの事。 いつもならこんな時に我先に口を出して来そうなウケイの姿が見当たらない。 先生、居ないのかよ! 出番でしょ! オルタナは胸中で一人突っ込みしながら、思案する。 王妃も潜入計画を知っているはず。 何故、そんな危険を冒して正面から行こうと言うのか。 オルタナはまだ良く理解出来ないまま、場の状況を見守る事しか出来ない。 大公妃は閉じていた扇子を広げて、口元に翳し「私はそろそろ」と休みたい素振りを見せ、フロアの中央から退席した。「せっかくの王陛下のお誕生祭です。気を取り直して、楽しみましょう」 振り返った王妃がそう言って、こちらを見る。 後ろに控えていたミレーから「ダンスにお誘いして下さい」と小声で囁かれ、危うく「はぁ?」と返
「銀の君の折り紙付きならばサリバン家も安泰ですな、公爵様」「えぇ、そうですね。ドヴァンニ殿」「健常なΩを早々に見つけられませ。何なら私がご紹介致しましょうか?」「ケルメス、婚約したばかりの二人の門出に不躾ですよ」「これは失礼、銀の君。年寄りは生き急いで申し訳ないですな。銀の君は大聖堂の視察にも来て頂けるとか。またその時に、ゆっくりとお話出来れば……」 国王でさえ大聖堂への訪問を渋る教会が、大公妃の視察を断らない理由――それが多額の支援金だ。 慈善事業家としての大公妃は、母国の孤児院に多くの支援と寄付を続けており、教会の大聖堂があるネロ区もその恩恵を受けている。 だから断らないと言うより、断れないと言う方が正しい。「あぁ、そうですね。オルタナの御婆様にもお会いしたい所です」「あぁそれなら、君も会いに来られますか? 御婆様に」 掛かった――――。「宜しいのですか? 私がご一緒しても……」 母がどんな風に笑う人なのか記憶はないが、オルタナは出来得る限り優雅に口角を上げ、ジッとケルメスの視線を捕らえる。 この爺を落とせば、大聖堂へ行けるのだ。 媚びも世辞も惜しむつもりはない。「十年以上会ってないのでしょう? マダムの視察の合間に面会なさると宜しいかと」「ありがとうございます! 限られた者しか入れぬ大聖堂に入れるなど夢の様です。大司教様の寛大なお心に、感謝致します!」 オルタナはそう言ってケルメスの手を両手で握りしめた。 本来なら触りたくもないが、ミレーが言うにはケルメスは稚児趣味の傾向があるらしく、小柄な少年をいつも侍らせているらしい。 多分、間違いなくこの容姿と体格がクリーンヒットする。 と、ミレーは砂を吐くような顔で言っていた。「おっほっほ、公爵様が君を番に望む気持ちが分かる様な気がしますね」
発情しないと言う事を隠しておけるはずはないけれど、ここで認めると言う事は他に番を持つ事を容認すると言う事と同義だ。 公爵がウケイに貰った切り札と言うものがどんなものなのか、オルタナはまだ知らない。 ここでどう答えるのが正解なのか、逡巡し迷う。 番として完璧に演じると言っておきながら、他の番を迎えても寛容に受け入れる覚悟は出来ていない。 でも貴族に嫁ぐと言う事は、その血を継げる者を産まねば価値がない。「そ、れは……」「そうだとして、ヴィンスが子を産める他のΩと番えば問題ないでしょう」「伯母上っ……」「ヴィンス、貴方も分かっているはずですよ。大丈夫です、オルタナ。私の夫にも運命の番がおりますが、今日まで夫とも金の君とも上手くやって参りました。公爵家に嫁ぐ者として、その位の事は覚悟の上でしょう?」 そう、キャンベル大公には金の君と呼ばれる運命の番がいる。 髪が灰色のリザベラはそれに倣って銀の君と呼ばれている事も、この王国の民なら子供でも知っている事だ。 複数の番を持つことを良しとしないドーン王国の筆頭貴族が、運命の番と婚姻し、他に番を持つと言う例外に説得力を持たせるには、彼女ほどの適任者はいないだろう。 そう言う意味でも最強の助っ人と言える。 小国でありながら強い海軍を有し豊富な鉱山を持つキャンベラは、海軍を持たないドーン王国にとって失ってはならない同盟国だ。 そう言う政治的な理由でリザベラが大公の元へ嫁いだ時、既に大公には運命の番がいて、リザベラは全て承知の上で大公妃となった。 大国の皇女が番持ちの小国の大公に嫁ぐなんて、異例の事態だったはずなのに、彼女はそれを物ともせずに公国との橋渡しを成し得た強者なのだ。 国政を担うパートナーとして、大公はリザベラを歓迎したと聞いている。 覚悟――したつもりだった。 でも想像力が足りなかった。 いや違う。ちゃんと事実を見ようとしていなかっただけだ。
頭上からボタボタと酒を滴らせるリリムは驚いて固まってしまっている。「自惚れるのも程々にせねば、可哀想を通り越して憐れです。己が身の丈に合わぬ欲を満たす為にサリバン公爵にまで恥をかかそうと言うのですか」「ち、違……私は……」「マ……マダム、娘は社交界デビューしたばかりなのです。このように責められては……」「お黙りなさい、ファージ侯爵。デビューしてこの為体。親の品位が知れると言うものです」
段々と呼吸が整わなくなる公爵を、オルタナは必死に細い腕で支えた。 衆人環視の中で未発情のΩに対して発情したとなれば、運命の番として認めなければならなくなる。 王陛下や高位貴族が軒並み揃うこの夜会でそんな事になれば、この事実をハッタリで誤魔化すなんて出来ない。 何で……? 本当にあの侯爵令嬢が運命の番って事――――?「感じていらっしゃるでしょう? ヴィンス様も」「……っ、名を呼ぶ
教会が種芥子を密輸する際、わざわざモリガンを経由する意図が謎だった。 海を渡ってドーン王国に輸入する方が格段に速いはずなのに、モリガンまでわざわざ種芥子を運んでいたのは、何かしらの因縁をつけてモリガン伯から領地を奪う為だったとしたら――――? もしこの仮説が当たっていたとしたら、ケルメスが種を持っている可能性は高い。「今回のルアド・モリガンの件を受けて、王陛下はモリガン伯から爵位剥奪と、領地没収をお考えになっているそうよ。教会がそれにどう動くかはまだ分からないけど」「王領の一部となれば教会が手出しす
公爵達が別荘を去って一週間後、ミレーとオルタナも王都へ戻る。 戻る前にはミレーに頼んで別荘裏の森へ入る時間を貰い、薬草を摘んで荷袋に入れた。 調薬する時間はなかったけれど、王都へ行けばウケイがいる。 何かの役に立つかもしれない、と出来る限り使えそうな物を摘んで来た。 戻る道中も馬車の中で貴族達の名前と派閥を頭に入れる講義が続き、言葉遣いの練習も追加され、アリアンロッド街道の道中にある宿を転々としながら王都へ戻る。 発情していないとは言え、ミレーは婚約中の女性でしかもαだ。 部屋を別にして欲しかったが、そう言うわけにはいかないらしかった。「大丈夫よ、オルタナ。ラチア様からこれを